研修は盛り上がった。グループ討議は白熱し、アンケートの満足度も高い。それなのに、数か月後の現場は何も変わっていない——。
管理職研修を担当されている方なら、一度はこの感覚を味わったことがあるのではないでしょうか。その理由を考えるために、まず私自身がケーススタディに「学ばされた」側だった頃の話から始めさせてください。
私はビジネススクールで、数多くのケースを使って学んできました。
企業が置かれた状況を、詳細な背景資料から読み解く。経営者の立場に立ち、限られた情報の中で意思決定する。当日は教授の問いかけを起点に、クラス全員で議論を重ねる。講義が終われば、少人数のグループに分かれて、さらに議論を続けることもありました。
教授がすぐに正解を教えてくれるわけではありません。むしろ、問いを重ねながら、私たちの思考の前提や矛盾を浮かび上がらせていきます。
「自分がこの会社の経営者だったら、何を決断するか」
「その判断によって、誰にどのような影響が生じるか」
「ほかに、どのような選択肢があるか」
実際の経営と比べれば、緊張感も責任の重さもまるで違います。それでも、フレームワークを覚えるだけの授業とは比較にならないほど、当事者意識を持って考える時間になりました。
そして、正解のない問いに向き合い、真剣に議論を交わした仲間たちは、今も付き合いの続く生涯の友人になっています。
ケースを使った学習の価値は、成功事例を知ることではありません。複雑な状況の中で、当事者として考え、判断する経験を積むことにあります。
企業研修のケーススタディは、目的が異なる
企業研修でも、「ケーススタディ」という言葉はよく使われます。
ただし、ビジネススクールと企業研修とでは、対象者も、使える時間も、学習の目的も異なります。
企業研修で用いられるのは、学んだ知識やフレームワークの使い方を理解するために、状況を単純化した短いケースが中心です。受講者はそのケースについてグループで話し合い、最後に講師から解説を受けます。
シンプルなケースを使うこと自体に、問題があるわけではありません。
初めて学ぶ考え方を、いきなり複雑な現場で使うのは難しいものです。まずは論点が整理されたケースを使い、考え方の基本を練習する。これは、研修の導入として合理的な方法です。
問題は、ケースについて話し合っただけで、研修が終わってしまうことです。
「分かった」と「現場で使える」の間には距離がある
シンプルなケースには、多くの場合、検討すべき論点があらかじめ埋め込まれています。
関係者も限られています。情報も整理されています。研修で扱いたいフレームワークを使えば、一定の結論にたどり着けるように設計されています。
一方、管理職が実際に向き合っている現場は、それほど単純ではありません。
部下との関係、上司からの期待、部門間の利害、過去の経緯、本人の感情、組織の文化。さまざまな要素が絡み合い、問題そのものが明確になっていないこともあります。
研修用のケースではうまく考えられたとしても、自分の職場に戻った瞬間に、
「自分の場合は、何から考えればいいのだろう」
「このフレームワークを、現実の問題にどう使えばいいのだろう」
と立ち止まってしまう。
研修中には議論が盛り上がり、アンケートの満足度も高かった。それなのに、しばらくすると受講者の行動は元に戻っている。
こうしたことが起きるのは、受講者の意欲が低いからとは限りません。研修で学んだことと、受講者自身の現場をつなぐ工程が、研修設計の中に用意されていない可能性があります(学びが現場の行動に移らない構造は、研修転移とはで詳しく解説しています)。
問題は、汎用ケースを使うことではない
汎用的なケースか、受講者自身の課題か。
これは、どちらか一方を選ぶ話ではありません。それぞれに異なる役割があります。
汎用ケースは、新しい知識や考え方を安全に試すための「練習問題」です。利害関係や感情から少し離れて、考え方の基本を学ぶことができます。
一方、受講者自身の課題は、学んだことを現場で使える形に変えるための「実践問題」です。
したがって、重要なのは、汎用ケースで終わらせないことです。
まず、シンプルなケースで基本的な考え方を理解する。次に、その考え方を使って、自分が実際に抱えている問題を整理する。そして、職場で何を実行するかを具体的に決める。
研修を現場での行動につなげるには、この橋渡しが必要です。
受講者自身の課題を扱う研修は、簡単ではない
もっとも、受講者自身の課題を扱えば、必ずよい研修になるわけではありません。
実際の問題には、人事評価、人間関係、異動、ハラスメント、心身の不調など、研修の場では話しにくい内容も含まれます。安易に共有を求めれば、受講者に不安や抵抗感を与えてしまいます。
また、受講者から出てくる課題は一つとして同じではありません。あらかじめ用意された模範解答もありません。
だからこそ、実課題を扱う研修には、丁寧な設計が必要です。
事前課題によって、自分の問題を言語化してもらう。どこまで共有するかは、受講者自身が選べるようにする。講師は、個別の事情に踏み込みすぎず、複数の課題に共通する構造を見つける。学んだ理論やフレームワークと結びつけ、職場での具体的な行動に落とし込む。
さらに、研修後に実践を振り返る機会まで設けられれば、学びは一度きりの理解ではなく、継続的な行動変容へとつながっていきます(実課題を演習題材にした継続型カリキュラムの組み立ては、管理職研修のカリキュラム例で具体的に紹介しています)。
ここでは、決められた進行を時間どおりに行う力だけでは足りません。
その場で出てきた問いを受け止め、問題の構造を整理し、受講者が自分なりの答えを見つけられるように支援する。研修設計と講師の力量の両方が問われます。
ケースの先に、受講者の現場があるか
ケーススタディが入っていると、研修は一見、実践的に見えます。
しかし、人事担当者が確認すべきなのは、「ケーススタディがあるかどうか」ではありません。
見るべきなのは、そのケースが研修全体の中で、どのような役割を果たしているかです。
- このケースで、何を身につける設計なのか
- ケースで得た学びを、受講者自身の課題にどう接続するのか
- 研修後、職場での実践と振り返りをどう促すのか
汎用ケースは、学びの入口として有効です。しかし、入口だけでは、受講者の行動は変わりません。
ケースを使って考え方を学び、その考え方で自分の現場を捉え直し、次の行動を決める。そこまでつながって初めて、ケーススタディは現場で生きる学びになります。
次に、ケーススタディを含む研修提案を受け取ったら、ぜひ、こう聞いてみてください。
「このケースと、受講者の実際の課題は、どこでつながるのでしょうか」
その問いへの回答にこそ、研修会社の設計思想と、講師の力量が表れます(提案を比較する際の確認ポイントは、管理職研修会社の選び方にまとめています)。
いまお使いの研修設計、一緒に眺めてみませんか
検討中の研修提案や、毎年実施している研修のカリキュラムを前に、「ケースと受講者の課題がつながっているか」を30分で一緒に点検します。売り込みではなく、壁打ちの場としてご利用ください。
コメント