朝のコーヒーが教えてくれた、
現場力を生む教育システム
— Will・Can・Must が静かに回っている、一杯の裏側 —
近所にある某有名喫茶店チェーン。毎朝、開店と同時にお邪魔して、コーヒーをすすりながら本を読むのが、ここ数年の私の日課になっています。
なぜ毎朝そこへ通ってしまうのか。コーヒーが旨いから——もちろん、それもあります。ただ、決定的な理由は別にあります。店員さんの接客の質です。
入店すれば、目を見て挨拶してくださる。混雑時にもオーダーミスを見たことがありません。テーブルの清掃は行き届き、グラスの水の残量にもさりげなく目が届いている。「気持ちよく一日が始まる」という感覚は、こうした細部の積み重ねからしか生まれないものだと、毎朝改めて感じます。
一杯のコーヒーの裏側にある、教育システム
ある朝、その店員さんとじっくり話す機会がありました。「お店の教育はどうなっているんですか」と尋ねてみたところ、想像以上に体系的な仕組みが返ってきたのです。聞き取った内容を整理すると、次の5つに集約されました。
アルバイトでも本社のトレーニングプログラムを受講できる。
「アルバイトだから」と切り分けない。
マネージャー昇格時には、別途マネージャー研修が用意されている。
役割が変わればOSも入れ替える、という思想。
行動目標を立て、出勤前に確認し、退勤前にその日を振り返る。
1日が、小さなPDCAサイクルになっている。
数か月に一度、店長と1on1を実施。
目標と達成度を二人で確認する。
他の店員のよいところを観察し、自分に取り入れるよう促されている。
「教わったとおり」を超えていく仕掛け。
驚いたのは、これらが「マニュアル徹底」の話ではなかったことです。むしろ逆——マニュアル通りを超えていく仕掛けが、日常業務の中に静かに組み込まれているのです。
自己決定理論で読み解くと、何が見えるか
人が自ら動くようになる条件を、心理学者デシとライアンは自己決定理論として整理しました。鍵となるのは3つ。自律性・有能感・関係性です。
私が管理職研修の現場で繰り返し使っている Will・Can・Must というフレームは、この自己決定理論と地続きです。
図:Will・Can・Must と 自己決定理論の対応関係
冒頭の喫茶店の仕組みを、この三軸に重ねてみましょう。
| 三軸 | 喫茶店の仕組み | 意味するところ |
|---|---|---|
| Will | 行動目標を出勤前に自分で立て、退勤前に自分で振り返る | 上から降ってきたノルマではない。自律性の領域。 |
| Can | 他の店員のよい部分を観察し、自分の接客に取り入れる | 「教わったとおり」ではなく「自分らしい接客」を模索する余白。 |
| Must | 数か月に一度、店長との1on1で期待を伝えられる | Mustを「ノルマ」ではなく「関係性」に変換する装置。 |
三つが揃ったとき、人は驚くほど自然に動き出す。私が研修の場で繰り返し目にしてきた現象が、一杯のコーヒーの裏側で、当たり前のように回っているわけです。
「やる気を出させる」ではなく、「やる気が生まれる構造」
ここで強調しておきたいのは、その店員さんは決して特別に意識の高い人ではなかった、ということです。ご本人いわく「最初は接客なんて自信がなかった」。
やる気が生まれる構造が職場にあるから。
Can 行動目標と振り返りで、小さな成功体験を積み上げる(自己効力感)
Will 他者観察で、自分らしさを探す余白を残す
Must 1on1で、ここにいていい・期待されているという感覚を補強する
「気合を入れろ」「お客様第一を徹底しろ」と叫ばずとも、人は自然に育っていきます。むしろ叫べば叫ぶほど、他者評価への依存——いわゆる他己承認——が強くなり、長続きしないのです。
学生アルバイトが、社会に持っていくもの
おそらくこの店舗で数年間アルバイトをした学生さんは、就職後にもこの経験が確実に活きるでしょう。なぜなら、彼らはすでに体験的に知っているからです。
彼らが体で覚えていること
・ 目標は、自分で立てるものだということ
・ 振り返りは罰ではなく、明日の自分へのパス出しだということ
・ よい仕事は、誰かの仕事を見て盗むことから始まるということ
・ 上司との1on1は査定ではなく、期待を受け取る場だということ
これは、立派なリーダーシップ研修を1回受けるよりも、はるかに深く身体に染み込んでいる学びです。
経営者と人事への、ささやかな問い
最後に、自分自身への問いとして書き残しておきたいと思います。
あなたの会社の新入社員や若手は、入社初日からこの喫茶店のアルバイトと同じ水準の「学びの構造」にアクセスできているでしょうか。
▎ 自社の人材育成チェック
明日の朝も、私はあの喫茶店のドアを開けるでしょう。コーヒーの香りの向こうに、Will・Can・Must が静かに回っている店舗があるからです。
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