2E式管理職養成プログラム

「自己基盤力」をベースに

管理職を“罰ゲーム”にしないための、マネジメント再設計。

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部下を駒にする部長は、実は被害者である──恐怖の連鎖と自己基盤力

二人の部長

同じ「経営改革を進める部長」でも、まるで違うタイプが二人います。

一人は、出世のために改革を旗印に掲げる部長です。部下を駒のように動かし、期限と数字で締め上げ、できなければ人前で詰める。チームは確かに動きます。短期の数字も、一時は上向くかもしれません。けれど、しばらくすると、その部署からは提案が上がってこなくなります。言われたことはやる。それ以上はやらない。誰も、自分から手を挙げなくなるのです。

もう一人は、本当に会社を良くしたくて改革を進める部長です。部下に、少し背伸びの要るタスクを渡します。任せて、待つ。失敗も想定に入れている。このチームからは、指示していないアイデアが出てきます。人が育ち、いつのまにか部長がいなくても回りはじめる。

私は管理職研修の場で、この二つのタイプの上司に、何度も出会ってきました。二人を分けているものは、何でしょうか。

たいていは「出世欲か、善意か」で語られます。前者は自分のため、後者は会社のため。わかりやすい構図です。けれど、この分け方をした瞬間に、私たちは大事なものを取り逃がします。これは道徳の話になり、「あの人は野心家だから」という人物評で終わってしまう。そこにはメカニズムがありません。メカニズムがなければ、打ち手も出てきません。

今日お話ししたいのは、もう少し不穏で、もう少し射程の長い見立てです。この二人を本当に分けているのは、恐怖に支配されているか、それとも自己基盤に立っているかという一点なのではないか。そしてそれは、一人の部長の内面の問題であると同時に、組織を上から下へ流れ落ちていく伝播の構造でもあるのではないか。私はこの構造を「恐怖の連鎖」と呼んでいます。

前者の部長は、加害者であり、被害者である

ここでいちばん見落とされやすいことを、先に言っておきます。

部下を恐怖で支配する前者の部長は、加害者です。それは間違いありません。けれど彼は同時に、被害者でもあります。彼の頭上には社長がいて、その社長から降ってくる評価という恐怖に、彼自身が支配されている。彼は上から浴びた恐怖を、そのまま下へ横流ししているのです。

恐怖の連鎖とは、こういうことです。恐怖は、いちばん上から注がれ、各層でかたちを変えながら、下へ、下へと流れ落ちていく。滝が段々を伝って落ちていくように、上の段の恐怖が下の段の恐怖を生み、その恐怖がさらに下の恐怖を生む。前者の部長は、その連鎖の途中にいる一つの環にすぎません。彼を「性格の悪い上司」として叱っても、上から降ってくる水量が変わらなければ、流れは止まらないのです。

この見立てを、三つのレンズから確かめていきます。脳科学、心理学、そして私たちが研修の土台に置いている自己基盤力。順に見ていきましょう。

脳科学のレンズ──恐怖の下で、脳は未来を描けなくなる

まず、脳の話です。ここは慎重に扱います。マネジメントの世界では脳科学が手軽な飾りに使われがちで、「右脳型リーダー」のような俗説(神経神話)が今も流通しています。私たちはそれをやりません。どこまでが実証で、どこからが比喩なのかを、はっきり分けながら進めます。

実証されていること──慢性的な脅威は、判断する脳を痩せさせる

慢性的なストレスにさらされ続けると、脳の使われ方が構造的に変わっていく。これは、比喩ではなく、実証されている事実です。

慢性的なストレスの下では、ストレスホルモンであるコルチゾールが出続けます。すると、計画を立て、衝動を抑え、長期の目標に向かって判断を下す前頭前野(前頭葉の前の部分)で、神経細胞の枝ぶりが縮み、細胞どうしのつながりが弱くなることが、動物実験を中心に確認されています。エイミー・アーンステンらの一連の研究が示してきたのは、慢性ストレスが前頭前野の「上からの制御」を弱め、脳をより反射的な反応へと傾けていく、という像です。同じ状況で、記憶と文脈をつかさどる海馬は縮む方向へ、脅威を検知する扁桃体はむしろ枝を広げる方向へ動く。つまり、冷静に考える回路が弱り、身の危険に反応する回路が強くなる。これが、慢性的な脅威下の脳で起きていることの、確からしい骨格です。

ここで、有名な言葉に一つ、訂正を入れておかなければなりません。この現象はしばしば「扁桃体ハイジャック」と呼ばれます。扁桃体が理性の脳を乗っ取る、というイメージです。キャッチーで、私も昔は使っていました。けれど近年の神経科学では、この言い方はかなり評判が悪い。「扁桃体が他の部分を乗っ取るという証拠はどこにあるのか」と問われて、明確な証拠は出てこないのです。むしろ扁桃体と前頭前野は、対立して奪い合うのではなく、協調して働くことのほうが多いとされています。だから正確には、乗っ取りではありません。慢性的な脅威の下で、前頭前野の制御が弱まり、扁桃体主導の反応が相対的に優位になる。地味ですが、こちらが実証に近い言い方です。この地味さを引き受けることが、私たちの誠実さだと思っています。

もう一つ、実証の側にある大切な事実があります。脳には、デフォルトモードネットワークと呼ばれる回路があります。何もタスクをしていない、ぼんやりしているときに活発になる回路で、長らく「サボっている脳」と誤解されてきました。ところが、この回路こそが、未来を思い描く働きを担っていることがわかってきました。バックナーやシャクターらの研究が示したのは、過去を思い出すこと、未来を想像すること、他人の視点に立つこと──これらが、驚くほど重なった同じ脳のネットワークで支えられているという事実です。未来に自分を投げ込んで、まだ起きていない出来事を先取りして体験する。この「先を描く力」は、脳のこの回路の働きなのです。

ここからは比喩──恐怖の下の組織は、構造的に「未来を描けない」

さて、ここからは慎重に線を引きます。以上は個人の脳で起きることであって、これをそのまま「組織の脳」に当てはめるのは比喩です。「コルチゾールが組織のデフォルトモードネットワークを止める」といった言い方は、科学ではありません。そう理解したうえで、あえて比喩として言わせてください。恐怖で動かされている組織は、構造的に未来を描けない、と。

前者の部長のチームで起きていることを、この比喩で描くとこうなります。詰められ続ける部下たちの脳は、慢性的な脅威モードに寄っていきます。判断や計画を担う前頭前野より、身を守る反応が優位になる。先を描く回路は、目先の危険をやり過ごすことに追われて、遠い未来まで手が回らない。だから、このチームからは中長期の提案が出てこない。指示待ちと現状維持しか出てこないのは、部下たちの能力が低いからではありません。脳が生存モードに入っていると、人は未来ではなく、いま目の前の危険のほうを見るしかなくなるからです。挑戦とは、未来に自分を投げ込む行為です。未来を描けない脳に、挑戦を求めるのは無理があります。

後者の部長のチームは、逆です。日常的な脅威が少ないぶん、部下の前頭前野は働き、先を描く回路も動く。だからこそ、少し背伸びの要るタスクを、脅威ではなく挑戦として受け取れる。部長が「未来を安全にする」ことに手を貸しているから、部下は未来のほうへ足を踏み出せるのです。

恐怖は、伝染する

そして、脳科学の側からもう一つ、連鎖の核心に触れる知見があります。恐怖やストレスは、個体から個体へ伝染する。これは比喩ではなく、実験で確かめられている現象です。

主に動物を使った研究ですが、仲間が脅威にさらされているのを見た個体の脳では、扁桃体や前帯状皮質といった、まさに脅威と情動をつかさどる部位が、当事者と同期して活動することが観察されています。そして興味深いことに、この情動の伝染は、知らない相手より、知っている相手のあいだでのほうが起きやすい。人間の職場に引きつけて言えば、赤の他人より、毎日顔を合わせる上司と部下のあいだでこそ、恐怖は伝わりやすいということになります。

もちろん、げっ歯類の実験結果を人間の組織階層にそのまま適用することはできません。ここは比喩の領域です。けれど、「恐怖が上から下へ流れ落ちる」という連鎖のイメージが、まったくの文学的な空想ではなく、情動伝染という実在の現象に根を持っている──そこまでは、言ってよいと思います。前者の部長は、社長から浴びた脅威を、毎日顔を合わせる関係のなかで、いちばん伝わりやすい形で部下に伝染させているのです。

心理学のレンズ──他己承認の世界と、自己承認の世界

脳の話を、心の言葉に翻訳してみます。

私たちは管理職研修のなかで、承認欲求を二つに分けてお伝えしています。他者からの評価によって自分を保つ「他己承認」と、自ら掲げたものに向かう実感によって自分を認める「自己承認」です。

前者の部長は、他己承認の世界に生きています。彼の価値は、社長の評価に依存している。評価が下がることは、彼にとって存在の危機です。そして、評価される側で味わっている不安を、彼はそのまま部下に転写します。部下は、ともに未来をつくるパートナーではなく、自分の評価を上下させる「評価の対象」になる。手柄は自分に引き寄せ、失敗は部下に押しつける。そうした振る舞いは、意地の悪さというより、他己承認の世界にいる人間の、ある意味で自然な自己防衛なのです。

ここで思い出すのが、心理学者キャロル・ドゥエックの有名な実験です。子どもたちに課題を解かせたあと、一方のグループには「頭がいいね」と能力を褒め、もう一方には「よく頑張ったね」と努力の過程を認める。すると、能力を褒められた子どもたちは、次にやさしい課題を選ぶようになった。失敗して「頭がいい」という評価を失うのが怖いからです。褒めたはずが、挑戦から遠ざけてしまった。評価の世界に置かれると、人はリスクを避け、いまの立ち位置にしがみつくようになる。前者の部長のチームで起きているのは、この実験を組織のスケールに拡大したものにほかなりません。

後者の部長は、自己承認の世界に立っています。動機が、避けたい何か(回避)ではなく、行ってみたい何か(接近)のほうを向いている。だから彼は、部下を「評価」するのではなく「承認」できる。そしてその承認を浴びた部下の側にも、少しずつ自己承認の芽が育っていきます。

ここで効いているのが、私たちが1on1の議論のなかで何度もたどり着いてきた順番です。自信より先に、安心。自己肯定感とは「できる自分」を証明することではなく、「ここにいていい」という安全基地の感覚です。安全基地があってはじめて、人はそこから離れて探索に出られる。前者の部長は、部下に脅威を配っています。後者の部長は、安心を配っている。対話の質は、突き詰めれば安心の量で決まるのです。

自己基盤力のレンズ──「任せられる」ことが、なぜ証明になるのか

三つ目のレンズは、私たちが研修のいちばん下の土台に置いている自己基盤力です。そして結論を言えば、脳科学のレンズも心理学のレンズも、最後はこの一点に収束します。

自己基盤力を、私たちは「自分軸 × 自己承認 × 健全な自責」と整理しています。この土台が揺れている上司には、共通して現れる現象があります。正論で返してしまう。アドバイスが増える。沈黙が怖い。良い上司を演じて疲れる。いずれも、自分の内側が不安定なときに、外側をコントロールして安心を取り戻そうとする動きです。

前者の部長は、他人軸で立っています。軸が社長の評価にあるから、自己基盤が絶えず揺れている。だから、任せられない。任せるということは、不確実性を自分のなかに抱え込むということです。部下がどう動くかわからない、失敗するかもしれない──その不確実性は、揺れている自己基盤にとって、それ自体が脅威なのです。だから彼はコントロールに走る。締めつけ、細かく管理し、恐怖で縛る。

ここに、一つの因果があります。恐怖支配とは、自己基盤の弱い人間が、手っ取り早く確実性を取り戻すための最短の手段なのです。恐怖は、最速の影響力です。人を動かすだけなら、これほど効くものはありません。前者の部長は、他者影響力の「技術」を持っていないわけではない。むしろ最強の技術を握っています。ただ、その技術を支える土台がない。だから彼の影響力は、恐怖の伝染にしかならず、部下の自走を生まず、続かないのです。

後者の部長は、自分軸で立っています。軸が自分の「ありたい姿」にあるから、社長の評価で自己基盤が大きく揺れることがない。だから、任せることの不確実性を飲み込める。部下に期待し、待つことができる。「任せられる」というのは、その人の自己基盤が安定していることの、何よりの証なのです。

これが、私たちの管理職研修で自己基盤力をいちばん下の土台に置いている理由でもあります。スキル(アプリ)をどれだけインストールしても、それを動かす土台(OS)が恐れで動いていたら、アプリは本来の働きをしません。実際、ある地方銀行での事例では、自己基盤力と1on1だけを扱ったのに、教えていないはずの「課題解決力」のスコアまで上がりました。土台が変わると、その上のすべての動きが変わる。逆に言えば、土台が恐れのままなら、その上のすべてが恐れの色に染まる、ということでもあります。

事例──ニデックの不正会計は、恐怖の連鎖だった

ここまでは、二人の部長という思考実験でお話ししてきました。けれど、恐怖の連鎖は、思考実験のなかだけの話ではありません。私たちは、その帰結が現実に噴き出した例を、最近まざまざと見せられています。

2026年3月、ニデックの不正会計をめぐる第三者委員会の報告書が公表されました。そこで不正の根本原因として指摘されたのは、個々人の資質の問題ではなく、業績目標への強すぎるプレッシャーでした。

これは、恐怖の連鎖の教科書のような事例です。トップから降ってくる非現実的な目標。それは各層で恐怖に姿を変えながら下へ流れ落ち、末端では「達成できなければ自分の存在価値が否定される」という水準の脅威になります。心理学者セリグマンが「学習性無力感」と呼んだ状態──何をしても状況を変えられないと学習してしまい、思考が停止する状態──に人が追い込まれたとき、目の前に帳簿を操作するという逃げ道があれば、脳はそちらを選んでしまう。ここでの不正は、悪人が企てた計略というより、恐怖に支配された人間の、歪んだ自己防衛なのです。

私たちの言葉で言えば、これはWillとCanを伴わないMustが「ノルマ」に変質した状態です。「ノルマ」という言葉は、もともとシベリア抑留者がラーゲリで課せられた強制労働の割当を語源に持つと言われます。行きたい未来(Will)も、できるという手応え(Can)も欠いたまま、ただ課される数字。それは目標ではなく、罰の予告です。そしてこのとき、人のコンフォートゾーン(心が安心していられる範囲)は、「未来のありたい姿」ではなく「いかに罰を避けるか」の側に貼りついてしまう。恐怖からの回避が、その人の日常の基準点になるのです。

ニデックの事例が突きつけるのは、制度では止められない、という事実でもあります。報告書によれば、特命監査のような仕組みは存在していました。けれど、それを運用するリーダーシップそのものが恐怖ベースであれば、仕組みは形だけのものになる。恐怖の連鎖は、制度の網の目をすり抜けて、いちばん下まで流れ落ちるのです。おそらくこの事例は、これから十年は語り継がれるでしょう。恐怖で改革を回すと最後に何が起きるのか、という問いへの、あまりに雄弁な答えとして。

恐れが「編集者」になり、「設計者」になる

ここで、少し補助線を引かせてください。私は先日、評価という営みについて書いたなかで、「恐れは記憶の編集者になる」という話をしました。自己基盤が揺れている評価者は、部下と記憶が食い違ったとき、「自分が間違っているかもしれない」という可能性に耐えられず、記憶の争いを降りられなくなる。自己を守るために、脳が本人の気づかないところで記憶のほうを書き換えてしまう、という話です。

恐怖の連鎖は、それと地続きの現象です。恐れは、一人の人間の内側では記憶の編集者になり、組織のなかでは設計者になります。恐れに駆動された部長は、自分が生き延びるための最短ルートとして、恐怖で回る仕組みを部署のなかに設計してしまう。締めつけ、監視し、失敗を罰する。そうやって組織そのものを、自分の不安をなだめるための装置につくり替えていくのです。同じ「恐れ」という感情が、個人の記憶を歪め、組織の設計を歪める。根は一つです。

だからこそ、軸は「恐れに駆動されているか、自己基盤に駆動されているか」なのです。出世欲か善意か、ではありません。恐れに駆動された善意も、恐怖の連鎖をつくります。自己基盤に立った野心は、人を潰しません。

反証として残しておきたいこと

ここまで読んで、「要するに、恐怖はダメで、ありたい姿が正しい」という単純な二分法に聞こえたかもしれません。けれど、そこで話を終わらせると、かえって説得力を失います。誠実に、二つの留保を残しておきます。

一つ目。恐怖でも、人は動きます。これは事実です。脳には、罰を避けることを素早く学習する回路があり、恐怖ベースの号令は、短期のコンプライアンスを確かに生みます。前者の部長のやり方は、「まったく機能しない」のではありません。狭く、短く機能したあとに、空洞化するのです。欠けているのは、瞬間の駆動力ではなく、持続性と、創造性と、自走です。ここを正確に言うほうが、「恐怖は非科学的だからダメ」といった雑な断言よりも、ずっと強い。恐怖は効く。効くけれど、続かない。それが正確な言い方です。

二つ目。前者の部長を、個人の資質で断罪しないこと。私たちは人間観として「性弱説」を採っています。人は放っておくと楽なほうへ流れる、いつも正しく振る舞えるほど強くはない、という前提です。この立場に立てば、前者の部長も、最初から加害者だったとは限りません。もしかしたら彼も、かつては後者だったのかもしれない。任せることのできる、期待のできる上司だったのが、社長から降り続ける恐怖にじわじわと浸食され、いつのまにか自分も恐怖を横流しする段になってしまった──そう考えるほうが、性弱説には忠実です。

だとすれば、これは個人の行動矯正の問題ではありません。前者の部長に「もっと部下を信じろ」と研修を受けさせても、彼の頭上から降ってくる水量が変わらなければ、彼はまた部下を締めつけます。介入すべきは、部長個人ではなく、恐怖の連鎖そのもの。そして多くの場合、その源流をたどっていくと、社長自身の自己基盤に行き着きます。恐怖は、いちばん上から降ってくるのです。

改革を、恐怖で回すのか、ありたい姿で回すのか

結局、この話が行き着く先は、経営改革をめぐる一つの問いです。あなたの会社の改革は、恐怖で回っていますか。それとも、ありたい姿で回っていますか。

どちらでも、人は動きます。数字も、一時は動くでしょう。けれど、そこから先が違う。恐怖で回した改革は、狭く短く機能したあと、提案の消えた部署と、記憶を書き換える上司と、最悪の場合は不正会計を残して空洞化します。ありたい姿で回した改革は、時間はかかっても、自走するチームと、育つ人を残します。自走を生むのは、片方だけなのです。

そして最後に、いちばん見落とされやすいことを、もう一度。恐怖で部下を支配する前者の部長は、実は誰よりも救われていません。彼自身が、社長の評価という罰ゲームのただ中にいるからです。私たちは「管理職を罰ゲームにしない」ということを掲げてきました。この言葉は、部下を守るためだけのものではありません。恐怖の連鎖の途中で、上から浴びた恐怖を下へ流すことでしか自分を保てなくなっている、あの部長本人にも跳ね返る射程を持っています。部下を駒にする部長は、加害者であると同時に、この連鎖の被害者でもある。だから彼を裁くだけでは、何も変わりません。

恐怖の連鎖を断ち切る最初の一滴は、いつも自己基盤にあります。誰かの自己基盤が恐れから解かれたとき、その環で連鎖は途切れる。上から流れてきた恐怖を、下へ流さずにそこで止められる人が、一人でも増えること。改革とは、本当はそういう仕事なのだと思います。


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本記事の姉妹編として、恐れが評価者の記憶をどう書き換えるかを論じた「その記憶、本当にあったことですか」(評価者育成シリーズ番外編)もあわせてご覧ください。

Tetsuro

Tetsuro

株式会社 2E Consulting 代表。中小企業診断士。アメリカ合衆国ニューヨーク州出身。一橋大学社会学部卒。三菱商事にて製鉄用石炭・鉄鉱石のトレーディング・事業開発・投資事業に携わり、インド・ドイツ・シンガポールに9年間駐在。海外駐在において現地人材の育成・組織開発に携わる中で人材育成に興味を持ち、企業向け研修会社に転職、年間2,000人の受講生にビジネススキルを教える。Harvard Business School Program for Leadership Development 修了(2019年)。その後、独立し、中小企業診断士として数多くの企業経営の現場で経営改善に従事している。

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